groschat≒GATTI!? 公演
1999年8月5日(木)~8日(日)
中野/テルプシコール
データ
groschat≒GATTI!? 公演
ねざめのつきのうつつ
【作】池谷なぎさ
【演出・美術・音楽】梅原ナオヤ
【出演】河崎耕士/中村隆/木本誠二/正田達也/沢田美紀/NANA/やすえひでのり/吉見匡雄/及川陸/岩間Y混我/小澤麻弥/池谷なぎさ/V・銀太
【友情出演】楽士/片岡正二郎(ヴァイオリン・唄)/坪川隆宏(アコーディオン)
【日時】1999年8月5日(木)~8日(日)
8/5(木)-19:30
8/6(金)-19:30
8/7(土)-15:00/1930
8/8(日)-14:00/18:00
※開場は開演30分前。当日券・整理券の発行は開演1時間前より行います。
【会場】中野/テルプシコール
〒164-0001中野区中野3-49-15
[TEL]03-3383-3719
[Web]http://www.studioterpsichore.com
【チケット】[前売り・予約]2200円[当日]2500円
【前売・予約&問合せ】グローシャgroschat produce
【スタッフ】◎照明/藤縄祐希子(有限会社アンビル)◎音響/高橋大介◎舞台監督/田中祥介
◎企画・製作/グローシャ≒GATTI!?
◎協力/阿部辰夫/望月昭弘/本間美奈子/奥山文恵/八木晴巳/関本拓加/吉田絵美/増田由起子/菊岡章二・純子/鈴木淳/沖田乱/藤田洋/沢田幻士/本多成行
コピー
挨拶
◎挨拶◎
前回グローシャでは、死の予感の中で生に執着する三人の子供と、社会からはみ出し心を持て余す三人の大人の物語を創りました。思えば、それは何がしかの前触れであったのかも知れません。
ある時期を境に、私は子供のようにだだを捏ねるようになりました。それは見事に拗ねたり、ぷうと膨れたり、全く見苦しい限りだけれど、弁明すれば、稚拙な愛情表現の手段だろうと思わせる計算づくめの行為とも言えます。私は頭の悪い子供が嫌いです。子供は常に冷静でしたたかでなくてはいけません。何事においても冷徹に観察し分析する事こそが彼らの仕事なのですから。
今回は、「売れない作家が、ねざめに見た月夜の夢にうつつを抜かす」というお話です。作家が辿る夜の果てへの旅は、決して暗いものではありません。それは朝の空気のように冷たくさえざえとしています。そしてそこには、チャーミングな人々が飄々と息づいているのです。 春に取りかかったこの脚本を書き終え、惚けた頭で外に出た日、風鈴の音に不意打ちを食らいました。空っぽの心に響くその音色と色褪せていく生活の匂いに、危うく涙を零しそうになりました。なぜって、私は月夜の夢にうつつを抜かした青二才になりきっていたのですから。季節は確実に巡り、その折々に懐かしい古傷が顔をのぞかせてくれます。
この公演を観終えた時に背中の傷が疼いたとすれば、その人にとってその傷は限りない程いとおしく、また、狂おしい程憎らしいものである事は間違いないでしょう。
池谷なぎさ
物語り
◎物語り◎
売れない作家が、或る日、救急車に撥ねられた。記者連中がスクープを狙って、救急車を追いかけていたのが原因だ。 作家の怪我は大した事はなかったが、義兄の弁護士は、記者連盟に対して訴訟を起こす。子供時代に折った背骨の古傷を事故によるものだとして、神経障害を併発していると嘘をつき、保険会社から莫大な保険金をせしめようと言うのだ。作家がこの弁護士の提案にしぶしぶ承諾したのは、以前に振られた彼女から来た手紙のせいだった。義兄から事故だと聞き、心配して見舞いに来ると言うのだ。
作家は、飛びあがらんばかりに浮かれ、義兄の言う通り病人を演ずる。しかし、喜びも束の間で、精神障害の真似事をしているうち、次第に世界の裏側から現実に戻って来れなくなってしまうのだ。そこは、いつか見た記憶の奥底にある風景だった。広大な河原の真中で繰り広げられる子供の裁判。山裾に巨大な暗黒の口を開くトンネル。そこで働く如何わしい作業員。そして、背中に大きな傷を持つ少女とその弟。この血の繋がらない姉弟とのホロ苦い秘め事。作家は、ただひたすら、精神の痛みだけを心の支えに、夜の果てへと旅を続けるのである。
想像の世界にある刹那の潔さと永遠の真実に比べ、現実はひどく退屈で欺瞞に満ち溢れていた。ついに作家は病室を脱け出し、自身の失われた背中の傷を求めて、夢か現かの闇に向かって飛び出すのである。
◎夢と現実の境目で◎
今回の作品は、「売れない作家が、寝覚めに見た月夜の夢に現を抜かす」という物語である。それは、暗くなるまで外で遊んでいた子供が、いつの間にか帰る場所を忘れてしまうお話であり、また、隠れんぼの鬼がいつまで経っても誰にも見つけられずに、一人忘れ去られてしまう物語とも言える。 誰しも祭りの終わる時の言いようのない淋しさを体験した事があると思う。だが人は、それが「夢と現実の境目である」と言う事を知っている。まさか一生がお祭りだという奇特な人はいるまい。私たちは、本能的にこの二つのバランスを保つ事によって人生を謳歌しているのだ。しかし、この物語の主人公は、自ら目を閉じる事によって「この世の果て」を目指し、己の作家という職業に殉ずるのである。私はなにも、気違いを推奨している訳ではない。人間としていかにチャーミングであるか、と言う点に注目すべきだ、と言いたいのだ。
夜の果てへの旅は決して暗いものではないだろう。何事も究極は必ず明るい筈だ。たとえば、深酒をして血ヘドを吐いた時の冴え冴えとした頭のように…。
総勢13名の出演者に対して、登場人物数は56人という今回の作品では、俳優たちは、それぞれ4~5役を演じなければならない事になる。しかし、これは「いかに軽やかに、飄々と役をこなしていくか」と言う、役者たちに与えられた密かな楽しみでもあると言えよう。
最後に、もしこの公演を観終えた時に背中の傷が疼いたとすれば、その人にとってその傷は、限りなく愛しく、また、狂おしい程憎らしいものである事は間違いないだろう。
池谷なぎさ