椿姫の恋


groschat produse vol.5
 2001年12月13日(木)~16日(日)
 ザムザ阿佐谷

arrow
arrow

データ

groschat produse vol.5

椿姫の恋

【作・演出】池谷なぎさ
【出演】池谷なぎさ/中田春介/岡島哲也/鈴木隆/河崎耕士/上嶋茂雄/渡辺由紀子/沖田乱/V・銀太

【日時】2001年12月13日(木)~16日(日)
12/13(木)-19:30
12/14(金)-19:30
12/15(土)-15:00/19:30
12/16(日)-13:00/17:00
※開場は開演30分前。当日券・整理券の発行は開演1時間前より行います。

【会場】ザムザ阿佐谷
〒166-0001杉並区阿佐谷北2-12-21ラピュタB1
[TEL]03-3336-5440Map
[Web]http://www.laputa-jp.com/zamza/main/index.html

【チケット】[前売り・予約]2800円[当日]3000円
【前売・予約&問合せ】グローシャgroschat produce

【スタッフ】◎共同演出・美術・挿入歌作曲/V・銀太◎照明/杉本公亮◎照明操作/榊美香◎音響/井出比呂之◎舞台監督/虹色冒険家◎製作協力/馬場淳子
◎企画・製作/グローシャ
◎協力/本間美奈子/安江秀訓/伊藤裕作/小林茂之/猪瀬明美/ラビオリ土屋/大木奈菜/若槻沙耶香/神川輝明/流山児★事務所/(有)エンドレスファクトリー/高津舞台装飾

コピー

◎コピー◎

vol_5_1

悲しいの?
………………いや。

泣いてるの?
………………いや。

あたし泣いてるわ。
どうして?

解らない………。

きっと、
青かび色のジャングルに捨てられた
たった10ミクロンの宇宙のためよ。

挨拶

◎挨拶◎

vol_5_3

 本日は、ご来場頂き誠にありがとうございます。
冬に書いた夏の芝居のつもりが、脚本を練り直している間にやっぱり冬になってしまったのですが、それは願ってもない好都合だったようです。
これほど切ない芝居はないなぁと、私は通し稽古の際にいつもひとりで涙を堪えていました。そして、こんなに大声で笑い、大声で泣いた稽古場もありません。それはなにより、私を信じて付いてきてくれた出演者全員が愛すべき素敵なおばかさんであり、おとなの役者さんであったからに違いないからです。又、混乱する私の頭を整理し、代弁してくれた共同演出のV・銀太をはじめ多くの方々の協力に支えられて、この芝居が成り立っていることに感謝します。 最後に、私事で申し訳ないのですが、私の脚本の一番の理解者である父親に感謝をさせて下さい。私たちは時を同じくしてオロチの神話に取り組んでいたのです。 20年も離れ、150キロも離れたところで、同じ事を考えていたとは……。
では、最後までどうぞごゆっくりお楽しみ下さい。

池谷なぎさ

物語り

◎物語り◎

vol_5_2 超人的な忙しさの日々を送る精神科医根岸は、或る日、一通の手紙をもらう。それは、深い森にある精神病院への招待状だった。差出人は、級友の緑川である。根岸は迷うことなく森を目指して旅に出た。そこにはかつての恋人“椿姫”が緑川院長の妻として、又重病患者として幽閉されていたのだ。彼女は素戔嗚尊(ヤマタノオロチ)の様に泣き虫でわがままで残酷なお姫さまだった。根岸は、作業療法の一環としてカフェとBarを経営する四人の患者たちの診察を行いながら椿姫との逢瀬を繰り返していた。三ヶ月後、椿姫の妊娠を知らされた根岸は、復讐の鬼となり、堕胎手術を計画するのだった。併し、椿姫の緑川への愛に打ち負かされた根岸は、自殺にも失敗し、行き場を失う。誰もが言葉を失った時、椿姫が根岸の前に現れた。その手に、産まれてくるべき根岸の子どもを握りしめて…。末期癌の緑川が死に、総てが終わる。だが、これは初めから密かに準備された物語だった。本当の物語は、死が生であり、生が死である宇宙のカラクリにも似た逆転劇なのだ。
夢の中を旅する疲れた中年男と、気の狂った中年女は、恋という誤解によってやさしいひとつの線で結ばれる。  かつて、八岐大蛇が啼いたであろうあの森は、いつでもあなたのすぐ傍らにぽっかり口を開けているだろう。

◎皮肉なる愛情をこめて◎

 2001年。私たちはいやおうなしにこの新世紀を迎えてしまった。脳天気に浮かれているのは世界の外側の見える部分だけで、内なる闇の世界では、大変な事が起こっている。自分は狂っているのではないか、という恐怖感に苛まれている人が世界の人口のうちどの位の割合になるのか…。恐らく非常に切ない数字が出てくるように思う。狂わざるを得ない時代に正気で生きていくのは大変なことだ。大人も子供も同様にである。頭が下がる。人々は、どうやってこの不安に立ち向かっているのだろう。軟弱者の私には「泣いてしまうこと」「過去に戻ること」「旅に出ること」しか考えつかなかった。
 そこで、開き直った私は、この世で最も残酷で美しい物語を作ろうと思った。「ヤマタノオロチ」のお話をサブテキストにしたのも初の試みだが、古代の物語には妄想を掻き立てられる。そこには、みょうに生々しい現実も、恋も、冒険も、革命すらも隠されている。これに狂わない方がおかしいじゃないか。
 私にとって人生なんてどうでもいい。今、何を感じ、何を思い、何を見つめているかが大切なのだ。「椿姫の恋」は現代に疲れ切った人たちに皮肉なる愛情を込めて贈る、ささやかな強壮剤である。

池谷なぎさ